前回までの話を、僕なりにまとめてみると、全国に豊富に存在する森林資は保育する段階から、利用する段階へ と方向を変えていかなければいけないという現状にあるということ。しかも、それらの森林資源は、今後10年でかなりの部分が、利用されるにあたる林齢(60年生~70年生)に近づいていくという事。
そこで、梶山氏は林業に携わる事業体の体質を木材の搬出に対する側面で強化していくことによって、林業という産業を自立できる産業として確立させていこうというもの。そのためには、機械化と集約化、路網整備が絶対条件であるという主張をしていると思います。
一方で、中嶋氏は日本の各地域に数多存在する、小規模山林所有者に対して搬出の技術提供や協力によって、そのような山主さん達が自ら山林の管理をしていくことのメリットや重要性を主張しているように思いました。
したがって、どちらの主張においても「日本の山林が管理不足によって、荒れていて、それをどうにかしないといけないのでは?!」と、いう問題解決の出発動機はあまり変わりないように思います。
ただ、梶山氏は日本の林業事業体のこれまでの体質や現状に焦点を絞り 、日本でも成功事例のある事業体や欧米の林業の現状を参考に今回の「森林再生プラン」を提示するに至ったのではないでしょうか…。
中嶋さんにおいては、NPO土佐の森・救援隊の事例をベースにこれまで、個人の山主さんが持っていなかった搬出の具体的手法を確立させたという点において、とても大きな功績を残していると思っています。また、日本各地には個人で山林を管理されている人だからこそ生態的にもとても豊かな山林を作りだしている人はたくさんいるのです。
…そこで、僕が感じたのは、「きっと、どちらも決して間違っている提案ではないのでは?」 という事…。
事実、多くの林業事業体は今後、搬出を伴った作業が宿命的な課題になると思います。
その一方で、自分の山は自分で管理したいという人も必ず存在するはずです。事実、それを実行してきた人達はいるのですから。
…僕が大切だと思う事は、山主さんの意見だと考えています。「森林再生プラン」は、来年度から本格的に始動します。
林業事業体はこれをきっかけに補助金に頼っていた保育作業中心だった現状の改善を求めらると思います。だからと言って、この事業からハミ出した山主さんが“バカを見る”ようなことがあってはいけないと思います。そこで、中嶋氏の提示する「小規模自伐型の副業型林業」が、その是非を問われるという事ではなく、選択肢の一つ として大切にされるべきだと思っています。
それと、10年後の木材自給率50%の目標について、山側の責任においてのみ議論が交わされるのではなく、川下(都会)で消費の中心になる人たちの意識の変化を同時に変えていく必要があるのではないでしょうか…?
「なぜ、日本の山林から運びだされた木を使っていく必要があるのか?」
「その木を使うことにどんな意味があるのか?」
「今ある、森林資源がなぜ存在するのか?」
最後に、この講演会でパネラーの一人だった方の、言葉を紹介したいと思います。
『今ある自然資源は祖先から譲り受けたものではなく、子孫から預かり受けたものである。』と、いう事…。
10年後に、そう言える山を一つでも多く作り上げる事ができなければならないのかもしれません…。
↑ 帰りに見上げた東京タワー
担当:たまる
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